2020.05.02
新型コロナウィルスが蔓延している折、皆様お元気でしょうか?
まったく思いも寄らないかたちで日本だけではなく、世界中がこのウィルスの猛威に恐れているのではないでしょうか。歴史上に出現した疫病の多くはカやネズミと言った眼に見えるものによって媒介されていたのに、今回はまったく人間の眼には見えないものによって伝染するわけですし、強い伝染力や、まだ結論を出すには早すぎるとはいえ少なからざる死亡率や治療法の未確立が報じられ、それだけにいっそう不安と恐怖が募ります。科学技術の発達、都市化、人口増大などに伴って地球規模での稠密な人間同士の移動と接触が、こんなにも多くの世界的規模での罹患を引き起こした一端の理由なのでしょうか。そして、戦争(幸いにも、今日では多くの日本人はみずから体験はしておりません)を除くと、今回のような非常事態は、しかも心の備えもなくある日突然に日常生活の隅々にまで侵入してくる不自由は、未経験の、まったく異例のことです。私たちはみずからの意志と欲望をときには制約されずに表出することを自明のことと信じ込んできましたから、突然の事態にうろたえ、恐れ、そして課せられた制約に苛立ちを憶えずにはいられません。
ウィルスを根絶することはできないでしょうが、しかし風邪や流感・インフルエンザのように、なんとか折り合いをつけて生活を送ることはできるのではないでしょうか。むろん、そのためには治療法等が確立してある程度はコントロールすることが必要でしょう。そのためには、まだ時間がかかることでしょう。私達が今できることとしては、報じられている感染しない・させない方策を守ることは不可欠です。また、万が一感染したなら、医療に身を委ねることは言うまでもないのでしょう。
この非常事態には、ウィルスへの罹患の不安と並んで、場合によってはそれ以上に経済的不安を抱いておられる方々もおられること存じます。後者の不安は政治によるバックアップとも結びついて和らげられるのでしょうが、知恵を絞って、連帯して乗り切るほかありません。
私には思えるのですが、このような在宅の時間が長くなり、普段できる気晴らしができなくなった今こそ、「徒然なるがままに」みずからと周りの世界のことどもを振り返ってみる好機である、と。少なくとも日本の文化的伝統の一つには、そのような無為のうちにいろいろ思い考えてみる、その思いを綴ってみるという側面があるのではないでしょうか。ウィルスの猖獗を奇貨として来し方・行く末を振り返ることもできます。
もっとも、家にいる時間が長くなり、子供達や家族と顔つき合せ一時ものんびりとできなくなってしまったという方もおられるでしょう。その場合にはこのような濃密な家族との接触を奇貨として、それを(苦しみつつも)楽しんでくださるようお願いします。
JW.Jの会が次回に開かれるのは6月でしょうか、あるいはもっと後になるのでしょうか。そのときに皆様と元気にお会いできることを、心から願い、祈っております。
千田 義光
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2020.05.11 01:44