『フライブルグ便り』①

 渡邊二郎先生の奥様、邦美さまと市川市の国際交流協会ではじめてお会いした時、妹がフライブルグに住んでいると話したところ奥様の顔がパッと輝き「アラ、フライブルグには私も住んだことがあるのよ」と・・この方にとってきっとフライブルグは特別な思い出のある地なんだなと感じたのでした。

 その後JW.Jの会に入れて頂いてから、渡邊先生が少壮の哲学者でいらした時代に奥様を伴って留学なさったことを伺い合点した次第です。(先日、奥様がUPなさった「カスターニエンの木陰で」及びそれに呼応した上田圭委子さんの一文を感銘深く拝見しました)


 私の妹はドイツ人と結婚して在独50数年になりますがその半分以上をフライブルグ近郊で過しています。一時別の土地に住みましたが、独立した子供の内二人がフライブルグ市内に居を構えているのでまた近くに戻って10年になります。


 さて、コロナウィルスによるパンデミックに関して、ドイツ南西部(バーデン・ヴュルテンベルグ州)でフランス・スイスと国境を接する地点に近いフライブルグは、南東部(バイエルン州)のミュンヘンとならんでドイツで最初に感染拡大の波を受けた場所になりました。というのも、感染が爆発的に拡がった北イタリアに近くカーナバルの時期とも相まって多くの若者がスキーなどに出かけ(この未知のウィルスの特異な性質によるものなのか感染してもあまり自覚せずに)帰ってきてから周囲に感染させてしまったと言われています。

 最も連邦政府はR・コッホ細菌研究所の助言のもとに早くから事態を予測して特に大病院のベッド数の半分を感染症向けにキープするなどの備えをしていたので、他のヨーロッパ諸国に比べて医療崩壊の状況にはならずにすんでいます。フライブルグではライン河を挟んだ隣のフランスのアルザス・ロレーヌ地方からのSOSに応え重症患者をヘリでドイツ側の病院に運んだそうです。患者が意識を取り戻したら周りの声がドイツ語なので驚いたというエピソードが新聞に載ったとのこと。

 妹によると、連邦制の分権国家であるドイツでは以前から地域の一次的な医療・健康管理を受け持つホームドクター制度が確立していて、病院での手術や治療の終った患者は早期に退院して療養所(サナトリウム)か自宅に移り再びホームドクターの管理を受けるという合理的なシステムが日頃から機能しており、ベッド数に常に余裕を持たせておける、又医療人材の分担が可能だなどの柔軟性が緊急事態の対応にも反映しているのではとのことです。

 ドイツもノックダウンに近い厳しい規制からの段階的緩和に入っていますが、フライブルグの昨日の感染者はゼロ、でもまだ時に数字が出る日もあるので油断は出来ないと申しております。

佐伯 芙由(2020/05/18)

JW. Jの会

故渡邊二郎先生を慕う哲学の会。渡邊先生は東京大学文学部、同大学院で学び、成城大学助教授を経て、東京大学文学部助教授時代にハイデガーの思想研究のためドイツ・フライブルク大学に留学。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。

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