引き続き「第3章」をUPいたします。
第3章 『技術の光と影』
魔物化した科学技術の暗い影
科学技術の暗い影→魔物化
(具体例)
・工業化がもたらした予期せぬ環境破壊
・公害の発生による被害や災害の出来事
・産業廃棄物による自然環境破壊と生態系の破壊
・大気汚染
・水質汚染
・酸性雨による森林破壊
・フロンガス/二酸化炭素によるオゾン層破壊と地球温暖化
・地球の砂漠化(化学肥料による土地の砂漠化)
・文明の基礎である化石燃料の枯渇化
・原子力発電の安全性の問題
・使用済み核燃料の処理問題
・薬害/医療の荒廃
・脳死/臓器移植/体外受精の倫理的問題
・ヒトゲノム研究による古典的人間観の解体
これらの難問を解決する新しい人間観は、どこにも見当たらない。
『人間は、いまや、おのれの因果の知力を妄信し、自分を存在の主と思い違え、傲然と自然を屈服させようとする気配が濃厚である。現代技術の根底に潜むその最も危険な徴候とその実態は、このような傲慢不遜な*主我主義の思想にあると言って間違いない。』
(渡邉二郎『現代人のための哲学』 ちくま学芸文庫 p.69; L1~4)
*主我主義
人間が自然の秘密を掴んで、自然を支配下に置き、自然エネルギーを収奪し制圧することで、思うがままの支配力を発揮しようとする人間中心主義のこと。
科学技術の限界について
科学技術文明に鋭く批判的視野を提出した2人の哲学者
=「ハイデガー」と「ヤスパース」
【ハイデガー】
“現代の技術時代とは、西洋における形而上学と真理観の完成の時代であり、
このことゆえに現代人は「故郷喪失」と「存在忘却」の運命のさなかにある”
ハイデガーの主張する西洋的真理観の歴史的変遷とその段階
- 自然のうちにおのずと立ち現れる「存在の真理」観(ソクラテス以前の知者)
- 人間的思考や論理により理念に向かう「正しさの真理」観(プラトン)
- 自己のうちに確信の根拠を置く「自己確信性の真理」観(デカルト)
- 自己の支配意志に役立つ限りで真理を承認する、「適正性としての真理」観(ニーチェ)
西洋ではこうしたプラトン以来の「*主観主義の形而上学」という人間中心主義からヘーゲルを経てニーチェに至り、現代に入ってその真理観の完成という形で*技術時代の到来をもたらした。
*〔主観性の形而上学〕とは
〜あらゆる存在者を自己の前に置いて、何が起こってもそれへの構えができているような、統一的に世界を把握し、いっさいを支配しようとする考え
*〔技術時代の到来〕とは、
〜存在者に狙いを定め、それらを人間の支配意志にとって役立つ資源や資材と捉えて、強圧し蹂躙する巨大収奪機構を人間が作りあげたこと
⇨ いまや現代人はその機構の中に自ら自身も雁字搦めに巻き込まれている運命にある。
これを乗り越えるため、現代人は『存在の根拠』を取り返すべきである
↓
『*存在の本質についての問い』が必要!
*〔存在の本質についての問い〕とは
〜存在の根源に潜む「真理」に思いを馳せ、耳を傾け、技術時代の華々しい効果や成果に幻惑されず、言葉による思索を通じ、住むべき家と場所を切り開こうと、現代の危機を乗り越えて行く道を歩まねばならない。そうした平静さと熟慮の思索によって、存在の真理に応え、聴従し、存在と人間とが互いに振り向き合い相互転回を成し遂げて、歴史の新たな転換点を探ること
【ヤスパース】
ヤスパースは、現代の「科学と技術」を位置づける展望を提示した
『新たに生み出されるべき次の時代のためのほの暗い前夜を、現代人は手探りしつつ生きている』
- 技術は快適な生存条件を作り出した
- 人間生活に種々の新しい環境世界を切り開いた
- 他方、それを生み出した人間自身が、機械の奴隷となり、本来の住うべき故郷を喪失している
- 手段の道具であったはずの技術的産物が人間を隷属化している
- 中立的手段であったはずの技術は巨大化して自立化し、人間を破壊しかねないほど、人間生活を圧迫している
- 人間の生み出した技術は、人間自身の生存そのものの墓穴を掘る危険物としてその実態が顕わになった
『したがって、人間自身が、この技術的な機械装置を、真の意味で管轄し主導する、指導者の役目を、しっかりと取り戻さねばならない時にきている。人間は、機械的な技術装置を、いったい、なんのために、また、いかなる範囲と程度において、道具や手段として用いるのかをいうことを、私たち人間は、いまや真剣に熟慮しなければならない』
(渡邉二郎『現代人のための哲学』 ちくま学芸文庫 p.77; L13~16)
渡邊二郎 著 『現代人のための哲学』(ちくま学芸文庫)より
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