現代人のための哲学 第2章 レジュメ

引き続き「現代人のための哲学」(渡邊二郎著):第二章レジュメを UPします。


第二章「科学とは何か」

〜近代科学の基本的性質と意義・その限界について考える

:「現代は科学技術時代」である


【近代科学の説明の仕方】

・因果法則を打ち立てようとする根本的性格がある


(その理由)

抽象化した因果律を観察と実験により必然性として保証されているという説明法をもつ

   ↓

〔将来を予測〕▷ 役立たせる(=応用し利用する)

   ↓

 「文明化(=工業化)」


*「しかし因果法則を根拠に置く科学的知識は、実は学問的知識のうちのあくまで一部である


ー 知識とは、必ずしも法則の知識ばかりで成り立っているわけではない ー


「事実を丹念に調査し、それらを組織立って記述する学問体系や、人間のあるべき振る舞い方の原則や規範についての知識体系という学問分野が現に存在している」


因果律による法則的な知以外の学問の具体例

ex.1:ありのままの記述や残された資料から事実関係を正しく把握し、その意義を検証する学問→歴史学
ex.2:諸事実の正確な確認から「あるべき規範と行為の原則の定立」に関わる学問→法律学
ex.3:人間のあり方や組織全体の成り立ちと社会活動を研究→経済学・経営学



17cに発生した近代科学を『科学革命』と定義…バターフィールド


*目的論的自然観から機械論的自然観へと転換した革命のこと


・「目的論的自然観」…自然は自らの内に、自分の本性を実現する運動を持つという見方

・「機械論的自然観」…自然を因果的な物質現象としてとらえる見方


〜結果、ニヒリズム・人間中心主義の温床となった


【科学の成り立ちについての再考察】

  1. 経験や観察による実証性を重視→事実観察できる範囲は全てを網羅できない
  2. 経験や観察を数量的な定量化・定式化する→合理化するために質についての捨象が起こる
  3. 「仮説演繹法」を採用し実証する→帰納論理を演繹論理に飛躍させ(現実の個別具体的な有限性から無限性へ)て一般化を主張し、仮説による蓋然性であることを見失いやすい


〔結論〕

 「あくまでも観察事実そのものに限界があるはず(カント)であり、『絶対視』は正しくない。科学的知には、常に修正される余地を残している。なぜなら(自然は)未だに完全に解明されつくされてはいないからである。つまり、『実用性』に裏づけられた暫定的な妥当性の高い道具(手段知)として成り立っているのが科学技術である。」



「科学の限界」のまとめ


・『科学は全体知ではない』

観察や経験に基づく一般化(概念的システムの構築)により、個別・具体的な現実の全部を見通すことは不可能である

〈あくまでも、一般化のため、一定の方法論的視座からの考察である〉

→現象に関する、それぞれの科学的立場からの方法論的操作に基づく限られた知見にすぎない


・『「人はいかに生きるべきか」という問題は扱わない』

人間は科学的に対象化されるものではなく、みずから「主体」(一人称)として、この世界の中で思考し、感じ、意欲し、そして行為して生きていくものである。

(私たちの心や精神は、過去の記憶と向き合い、未だ存在していない未来に思いを馳せ、価値を追求し、生きがいを求めていくなかに、真実の人生は可能となる)

JW. Jの会

故渡邊二郎先生を慕う哲学の会。渡邊先生は東京大学文学部、同大学院で学び、成城大学助教授を経て、東京大学文学部助教授時代にハイデガーの思想研究のためドイツ・フライブルク大学に留学。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。

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